Tiffany
ティファニーランプ
プレゼントとしても大変喜ばれます
ガラスとガラスを銅でつなぎ、植物や花、動物などを色鮮やかに表現したシェードを持つ美しいランプがティファニー・ランプです。ご自宅用としてはもちろん、お祝い事やプレゼントとしても大変喜ばれます。オリジナルランプのオーダーも承っておりますので、お気軽にご相談ください。また作品が作れる教室も開催しております。生涯にわたって取り組める趣味としても人気です。
宝石をこえたガラス ティファニーランプの世界
Tiffany Lamp
真の宝石よりもガラスの輝きに魅せられた人がいます。ルイス・C・ティファニーです。ニューヨークの宝石屋「ティファニー&カンパニー」の創始者ティファニー氏の長男で、有名なガラス工芸家です。
12種類あると言われる彼の作品群の中で、特に評価が高いのがランプです。特殊な技法による彩色ガラス(ステンドグラス)を組み合わせて作ったティファニー・ランプは、アメリカン・アール・ヌーボーの傑作と言われ、世界中の美術愛好家の憧れの的です。
小さなものでも10万ドル以上するとあって、一般人にはなかなか手の届かないオリジナル作品ですが、そのロマンチックでエレガントなスタイルに魅せられて、ティファニー・ランプを復元する職人たちがいます。全米でも一握りという、その職人の中に日本人のステンドグラス・アーティスト、田上義文(たがみ・よしふみ)さんがいます。
12種類あると言われる彼の作品群の中で、特に評価が高いのがランプです。特殊な技法による彩色ガラス(ステンドグラス)を組み合わせて作ったティファニー・ランプは、アメリカン・アール・ヌーボーの傑作と言われ、世界中の美術愛好家の憧れの的です。
小さなものでも10万ドル以上するとあって、一般人にはなかなか手の届かないオリジナル作品ですが、そのロマンチックでエレガントなスタイルに魅せられて、ティファニー・ランプを復元する職人たちがいます。全米でも一握りという、その職人の中に日本人のステンドグラス・アーティスト、田上義文(たがみ・よしふみ)さんがいます。
ティファニーに魅せられて
パロスバーデスに住む田上さんのお宅を尋ねたのは、秋も深まったある朝のことでした。
表札のないドアの前で住所を確認し、呼び鈴を押と、ドアを開けてまず目に飛び込んできたのが何十とういう大小様々のランプでした。
傘の部分が色とりどりで、よく見ると、色のついたガラスが貝殻のようにはめ込まれていました。自然光の下、控えめにたたずんでいるランプたちに見とれていると「夜にお見せできないのが残念です。暗闇だともっとキレイなんですが」と田上さんが済まなそうに笑いました。ガラスの量感と曲線が力強く、暗闇の中、このランプ全部に明かりが灯った情景は、想像を絶する美しさに違いありません。和歌山県出身の田上さんが、ステンドグラスと出会ったのは今から20年前で、当時アートとはまったく関係のない仕事についていた彼は、ギヤラリーで見たステンドグラスに心奪われました。
表札のないドアの前で住所を確認し、呼び鈴を押と、ドアを開けてまず目に飛び込んできたのが何十とういう大小様々のランプでした。
傘の部分が色とりどりで、よく見ると、色のついたガラスが貝殻のようにはめ込まれていました。自然光の下、控えめにたたずんでいるランプたちに見とれていると「夜にお見せできないのが残念です。暗闇だともっとキレイなんですが」と田上さんが済まなそうに笑いました。ガラスの量感と曲線が力強く、暗闇の中、このランプ全部に明かりが灯った情景は、想像を絶する美しさに違いありません。和歌山県出身の田上さんが、ステンドグラスと出会ったのは今から20年前で、当時アートとはまったく関係のない仕事についていた彼は、ギヤラリーで見たステンドグラスに心奪われました。
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「前々からアートに興味はありましたが、その時凄い衝撃を受けたんです。そしてこれをやってみたいと強く思ったんです。」
今から思うとそれほどレベルの高い作品じゃなかった、と言う田上さんですが、その時はまさかこれが自分の仕事になるとは露思わなかったと、振り返っておられました。それから田上さんの独学が始まり「とにかく技術を覚えたかった」とひたすら本を読みあさり、「本を読めば大体のハウツーはわかるんです。でも問題はそれからです。いかに自分のアートをクリエイトするか」でした。
ステンドグラスの風雲児ティファニー
ステンドグラスとは彩色ガラスのことです。この彩色ガラスを使ってティファニーが作ったランプが、いわゆるティファニー・ランプです。ガラスとガラスを銅でつなぎ、風景、花、昆虫などを色鮮やかに表現したのがティファニー・ランプです。正式にはティファニーが作ったものだけがティファニー・ランプとなりますが、広義ではその独特のスタイルを真似たものもティファニーランプと呼ばれています。すべて手作りで手間暇がかかっているため、模倣品とはいえ高価で、数千ドルを下らないものも多くあります。
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「ティファニーは、ヨーロッパに留学してビザンチン様式のステンドグラスの美しさに魅了されました。ところが当時のステンドグラスといえば、画家が白いガラスに直接エナメルで絵を描くという、本来のステンドグラスからははずれた邪道だったんです。そこでティファニーはガラスそのものに発色させるという、ステンドグラス本来のやり方を再開したのです。」と田上さんが説明しました。
19世紀当時、ヨーロッパのステンドグラスは、ガラスに顔料をなすりつける方法がとられていましたが、この方法ではガラスはあくまでも脇役でした。ステンドグラスは、ガラスの上に描かれた絵でしかなく、ガラスという素材そのものから生まれた絵にはならず、しかも当時のヨーロッパのガラスはすこぶる質が悪いという難点もありました。 -
ここにティファニーは、光を通すガラスそのものに発色させるという12世紀以前の本来のステンドグラス製造方法を試み、ガラスが持つ力強さや美しさを生かそうとしました。周りには無理だと言われる中での挑戦で、ガラスの素材としての美しさに注目し、様々な色合いや造形的な表面を編み出すことにも成功しました。溶かしたガラスの中に金属を混ぜ、温度や混ぜ具合で独特の色合いや陰影を作り出しました。他のステンドグラス作家が、ガラスができた後に彫刻したり絵筆で彩色という「後天的」な方法に頼るのに対し、ティファニーはガラスが熱く溶けた状態で吹いたり伸ばしたりして色や形をつけたのでした。こうして、ティファニーが作り出したガラスは「ファブリル・グラス(Favrile=手作りの)」という最高級のガラスを表わす登録商標にもなっていったのです。
トーマス・エジソンとティファニーの出会い
新しいガラスの製造方法を編み出したティファニーは、そのガラスを教会等の窓に使うだけでなく、一般家庭でも楽しめないかと考えました。ここに有名なティファニー・ランプが誕生したのです。
ステンドグラス1890年代後半といえば、時まさにトーマス・エジソンが白熱電球を発明した時代です。ティファニーはこの発明家エジソンの助けを借りて、家庭用のテーブルランプを作り出しました。ステンドグラスの窓の場合、光源は太陽光線なんですが、これを電球に変えて、ティファニーは様々なテーブルランプを作り出したのです。
ステンドグラス1890年代後半といえば、時まさにトーマス・エジソンが白熱電球を発明した時代です。ティファニーはこの発明家エジソンの助けを借りて、家庭用のテーブルランプを作り出しました。ステンドグラスの窓の場合、光源は太陽光線なんですが、これを電球に変えて、ティファニーは様々なテーブルランプを作り出したのです。
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美への飽くなき探究心を持つティファニーでしたが、決して一部の特権階級だけを芸術の鑑賞対象としていたわけではありませんでした。「真の美をアメリカのすべての家庭に届けたい」が生涯のモットーだったといいます。しかし彼のモットーとは裏腹にティファニー・ランプを持つことは富の象徴となり、当時500ドル以下だったランプが今ではその100倍以上を出しても手に入らない高価なものになってしまいました。
ライフワークにもなるティファニーランプ
「私はあれこれやるのが得意じゃなく、一つのことに集中して極めていくタイプなんですね。」そんな性格の田上さんにティファニーのステンドグラスは完璧にマッチしました。
田上さんは134人のお弟子さんを持ち、現在サウスベイ、オレンジ、そして日本にも、彼のもとから巣立っていった弟子の中には、ステンドグラス・アーティストとして日米で活躍する人もいます。
2階建てのタウンハウスの一階が田上さんの工房になっており、リビングルームには所狭しとランプが飾られており、中には高さ1メートル50センチ、傘の直径が1メートルはありそうな大きな作品まで「これすべて私の生徒の作品なんです。」と田上さんは言います。どれも皆売り物として通用するレベルの高いものばかりで、ガラスを切ったこともなかった主婦の方もこんな作品を作ったと聞いて、ビックリしてしまいました。
生徒のほとんどは女性で、ひとつの作品を仕上げるのに半年から、物によっては1年もかかります。時間的、また経済的な余裕がなくてはできない贅沢な趣味でもあります。そして製造過程において極度の集中力を要求され、精神面での忍耐力も要求されます。しかしそれは自分と向き合ういい試練でもあると田上さんはおっしゃいます。
このチャレンジゆえに、ステンドグラスに傾倒していく人たちも多いそうです。
田上さんは「買うと高いから自分で作ってみようと始めて、作業の大変さに気付く人も多いです。しかも精魂こめて時間と手間暇をかけて作った作品は、手放せなくなり、そのため売ろうという人はいませんね。」と、ただランプが欲しいというなら、買った方がいいと彼は言います。それだけに完成した時の感激、充実感は大きく、「ライフワークとして取り組むに値する趣味」と田上さんが強調する由縁です。
70代の弟子もおいでになり、「ティファニーランプは割れない限り、先祖代々永久に残ります。子供たちも孫たちもおばあちゃんが一生懸命作っている姿を見て、完成したときの喜びを家族で分かち合っているんですね。」と永く引き継がれていくようです。
田上さんは134人のお弟子さんを持ち、現在サウスベイ、オレンジ、そして日本にも、彼のもとから巣立っていった弟子の中には、ステンドグラス・アーティストとして日米で活躍する人もいます。
2階建てのタウンハウスの一階が田上さんの工房になっており、リビングルームには所狭しとランプが飾られており、中には高さ1メートル50センチ、傘の直径が1メートルはありそうな大きな作品まで「これすべて私の生徒の作品なんです。」と田上さんは言います。どれも皆売り物として通用するレベルの高いものばかりで、ガラスを切ったこともなかった主婦の方もこんな作品を作ったと聞いて、ビックリしてしまいました。
生徒のほとんどは女性で、ひとつの作品を仕上げるのに半年から、物によっては1年もかかります。時間的、また経済的な余裕がなくてはできない贅沢な趣味でもあります。そして製造過程において極度の集中力を要求され、精神面での忍耐力も要求されます。しかしそれは自分と向き合ういい試練でもあると田上さんはおっしゃいます。
このチャレンジゆえに、ステンドグラスに傾倒していく人たちも多いそうです。
田上さんは「買うと高いから自分で作ってみようと始めて、作業の大変さに気付く人も多いです。しかも精魂こめて時間と手間暇をかけて作った作品は、手放せなくなり、そのため売ろうという人はいませんね。」と、ただランプが欲しいというなら、買った方がいいと彼は言います。それだけに完成した時の感激、充実感は大きく、「ライフワークとして取り組むに値する趣味」と田上さんが強調する由縁です。
70代の弟子もおいでになり、「ティファニーランプは割れない限り、先祖代々永久に残ります。子供たちも孫たちもおばあちゃんが一生懸命作っている姿を見て、完成したときの喜びを家族で分かち合っているんですね。」と永く引き継がれていくようです。
ガラスとの出会いが作品を決める
ティファニー・スタイルのランプはもとより、ステンドグラス・アーティストとして、窓用の大きなものやオリジナルデザインのランプを手がける田上さんは、日本の岩手県にステンドグラス・アーティストとして招待されて、村興しに一役買ったこともあります。
田上さんの作業時間は一日に約7〜8時間で、お客からの注文で一つひとつを手作りします。「ランプにしろ窓にしろ部屋の一部ですから、必ず注文されたお客様のお部屋のイメージを考えて、デザインするようにしています。」と言う田上さんは、大きなもの以外は、大体2週間でひとつの作品を完成するそうです。
工房には数十枚の美しいガラス板が立てかけられており、不透明な色付きのもの、複雑な模様のあるもの、表面にヒダのあるもの、ガラスにこんなたくさんの種類があったのかと、改めてビックリしました。「いいガラスとの出会いで、いい作品ができるんです。」絵ならば絵の具を使って自由自在に色を変えることができますが、ステンドグラスの場合はガラスがすべてで、色を塗ることはできません。田上さんも、自分のイメージに合ったガラスを求め、いくつものガラス屋を歩き廻り、素材がすべてなのです。
「例えばこのガラスのほんの一部だけ、という贅沢な使い方もするんです。」と田上さんは言います。それだけに、自分のイメージに合ったガラスに出会ったときの喜びは大きいのです。
だからといってお金をかければいい訳ではありません。「自分の表現したものにマッチすれば何だってよく、出来合いのガラスだけでなく、瓶のかけらを作品に使ったりもするんです。」と、緻密で孤独な作業だが「ガラスと向き合っているとすべてを忘れる」と笑う田上さんは、西暦2000年にはアメリカと日本での個展を開催しました。
田上さんの作業時間は一日に約7〜8時間で、お客からの注文で一つひとつを手作りします。「ランプにしろ窓にしろ部屋の一部ですから、必ず注文されたお客様のお部屋のイメージを考えて、デザインするようにしています。」と言う田上さんは、大きなもの以外は、大体2週間でひとつの作品を完成するそうです。
工房には数十枚の美しいガラス板が立てかけられており、不透明な色付きのもの、複雑な模様のあるもの、表面にヒダのあるもの、ガラスにこんなたくさんの種類があったのかと、改めてビックリしました。「いいガラスとの出会いで、いい作品ができるんです。」絵ならば絵の具を使って自由自在に色を変えることができますが、ステンドグラスの場合はガラスがすべてで、色を塗ることはできません。田上さんも、自分のイメージに合ったガラスを求め、いくつものガラス屋を歩き廻り、素材がすべてなのです。
「例えばこのガラスのほんの一部だけ、という贅沢な使い方もするんです。」と田上さんは言います。それだけに、自分のイメージに合ったガラスに出会ったときの喜びは大きいのです。
だからといってお金をかければいい訳ではありません。「自分の表現したものにマッチすれば何だってよく、出来合いのガラスだけでなく、瓶のかけらを作品に使ったりもするんです。」と、緻密で孤独な作業だが「ガラスと向き合っているとすべてを忘れる」と笑う田上さんは、西暦2000年にはアメリカと日本での個展を開催しました。
時代を超え輝き続けるティファニー・ランプ
小さな頃、浜辺で拾い集めた色とりどりの小石やガラスの小片で、夢中になって遊んでいたというティファニーですが、宝石商の御曹司として幼い頃から本物の宝石に触れていた彼が、本物の宝石には興味が持てず、ガラスの魅力に取りつかれていったのは、ただの偶然ではない気がします。一流の美に囲まれて育ち、完璧な審美眼を持った彼に、神はガラスという素材に新しい息吹を与え後世に残る芸術作品として蘇らせる、大任を授けたに違いありません。
そして1世紀、彼の魂はガラスに閉じ込められて、真の審美眼を持つ人だけに話しかけられたようです。宝石の輝きを越えて語りかけるガラスは、アートとはまったく関係のなかった日本人青年の人生までを変えました。アメリカという異国で、この青年は独学でティファニーの技術をマスターし、ガラス工芸家として1人立ちしていきました。
そして今、ティファニー・ランプの美に魅せられて、家庭の主婦が、学生が、一般の人々が田上さんのもとを訪れ、技術を学び自分なりのランプを作りながら、そこで人々はガラスの世界に魅了され、ティファニーと時代を超えて対話していで、ティファニーの精神に触れていきます。
ティファニーの願いとは裏腹に、ティファニー・ランプは一般家庭にはとても手の届かない高価なものになりましたが、田上さんや彼の弟子たちが作るランプの一つひとつには、ティファニーの精神が宿っているといえるのではないでしょうか。
「真の美をアメリカのすべての家庭に届けたい」
ティファニーの願いはこの日本人青年を通じ、違った形で実現されているのかもしれません。
(Bridge U.S.A. 1998年11/15号掲載より)
そして1世紀、彼の魂はガラスに閉じ込められて、真の審美眼を持つ人だけに話しかけられたようです。宝石の輝きを越えて語りかけるガラスは、アートとはまったく関係のなかった日本人青年の人生までを変えました。アメリカという異国で、この青年は独学でティファニーの技術をマスターし、ガラス工芸家として1人立ちしていきました。
そして今、ティファニー・ランプの美に魅せられて、家庭の主婦が、学生が、一般の人々が田上さんのもとを訪れ、技術を学び自分なりのランプを作りながら、そこで人々はガラスの世界に魅了され、ティファニーと時代を超えて対話していで、ティファニーの精神に触れていきます。
ティファニーの願いとは裏腹に、ティファニー・ランプは一般家庭にはとても手の届かない高価なものになりましたが、田上さんや彼の弟子たちが作るランプの一つひとつには、ティファニーの精神が宿っているといえるのではないでしょうか。
「真の美をアメリカのすべての家庭に届けたい」
ティファニーの願いはこの日本人青年を通じ、違った形で実現されているのかもしれません。
(Bridge U.S.A. 1998年11/15号掲載より)